音楽会のお作法

趣味が嵩じてという表現がぴったり当てはまりますが、私は時々音楽会を企画します。5年ほど前、ある管楽器奏者とある弦楽器奏者、それもそれなりに世界レベルに達している二人が高校の後輩であり、それぞれのコンサートを聴きに行った後、この二人の合作を聴きたかったため、まずはコンサートホールを予約し、企画を立ててからその費用たるや莫大なものであるので知人にカンパを集めるが如く集客をしたのがその発端です。やってみたらば大赤字でしたが、元々自分が聴きたかった音楽ですのでそのときは良かった・・・と言いつつ、これは本気で興行としようとその後も続けていき、一応ノウハウを蓄積したのでどうにかこうにか赤字にならず運営できるところまで漕ぎ着けました。

クラシックというジャンルはどうにも敷居が高い様子で、好きな人は好きですが、わからないとはっきり仰る方もかなり多くおられます。しかし、私の考え方は元々音楽家というのは宗教的なバックグラウンドから発生しつつ、宮廷のお抱え楽師として貴族の遊興の添え物として発展したという音楽家にとっては実に不愉快なものであろうとは思いつつも、前述のように「オレの聴きたい音楽をやれ!」と言える似非貴族になりたい気持ちが音楽会を企画する原動力です。

楽家には二通りあり、芸術としての音楽を極めようと日々精進しつつ、その力を惜しみなく世間に披露し幾許かの収入を得て細々と生きている崇高なものと既に自分を崇高な芸術家であると考え、そのありがたい演奏を愚民に聴かせてやり対価としてカネをとるものに分かれます。多くの場合が後者で、簡単に言えば過去の財産と本人が思い込んでいるものを切り売りしているだけですので、舞台に立つと客層を値踏みし、その程度が低いと考えるとそれなりの演奏しかしません。

初めて音楽会に行ったとき、拍手のタイミングとその長さなどで戸惑いました。まあ、曲中や楽章の間に拍手を入れてはいけないなどの基本的な考え方は教わってからのことでしたが、一旦舞台袖に戻った演奏者が何度も出直してくるための拍手という習慣は「こういうものか」と思いつつ、周りの人に合わせてきたのが実状でしたし、素晴らしい演奏に対しては「惜しみない拍手」というのは当然のものと未だに考えております。然し・・・最近では、気に入らない演奏であった場合は拍手をしないようになりました。聴衆を満足させ、その対価を得ている音楽家が実力を出し切らない場合、むしろ「カネ返せ!」と叫んでみたくなってしまいます。たまたまここ数回、満足できる音楽会に行けなかったから・・・というのがこんな気持ちになった理由ではないかとは思いますが、それもまた音楽の楽しみ方であり、あくまでも聴衆がお客様であることを考えての行動として、音楽家はそういう音楽会のお作法を考えていただきたいと思っております。