路上ライブというテロリスト

夕方過ぎから深夜まで、大宮駅西口を歩くと、そこここに妙な姿をした若者達が陣取り、路上ライブなるものをやっております。妙な姿はまあ、世代の相違ということで、あちらから見れば私なんぞはただの汚いクソ爺ィでしょうし、さしたる問題点ではありませんが、公共の場を占拠していることは社会問題ではないかと感じております。

駅前のスペースというのは人々が通行するためにあるわけで、そこは本来、金融業者や風俗営業関係者がチラシやティッシュを配ったり、政治家が演説をぶったり、ましてや子供がキャッチボールをしたりするための広場では無いはずです。子供のキャッチボールはあまり見かけませんがチラシ等の配布や政治家の演説は日常茶飯事となっております。元々彼等はどちらかというと控えめにその所作をしていたような覚えはありますが、今では既得権のようなものなのでしょう。これまた陣取り合戦もそれなりに見かける姿です。

さて、路上ライブというものですが、これは多分まだ10年も経過していない現象でしょう。路上ライブからスタートしてメジャーデビューした歌手もいるようですが、本末転倒なのは路上活動を美化していることです。前述の政治家やチラシ配りは人間ひとり分のスペースしか使用しませんが、このライブをやる連中は大抵複数人数で、しかも機材やら天売用のCDやらを傍らに置き、何よりも困るのは人気があるらしき連中となるとその信者(ファンなどというものではありますまい)が取り巻き、交通の妨げとなります。占拠した面積という問題点のほかに彼等は周りのことを考えずに大音量を発しており、まあ、これは騒音公害の一種ではないかと感じます。

今や、そういう路上での活動をメディアまでがもてはやし、ひどいところになると行政や民間団体が支援しようなどという動きすら出てきているようですが、とんでもない話ではないでしょうか。街の風景としてそれが当り前になりつつありますが、不愉快に感じる人は多数いるはずです。法律の隙間を上手に泳いでいる事業者も多々存在しますが、結局彼等のやっていることは商業行為であり、しかも、本来あまり認められている行為ではないのではないか。そういう商業行為に及ぶのであれば、妥当な場所を借り、それなりの投資をしたうえで行なうべきでしょう。若者は自由にやって良いなどというのは社会通念ではなく単なる甘えで、それを甘やかす行政やオトナにも問題があるのだろうというところは否定できません。ということで、さいたま市にはこの行為を迷惑防止条例に加えて欲しいと訴えております。