有名人依存症

韓流ブームとやらは未だに根強く続いております。何を好き好んで、我が国の30年前の流行みたいなものを必死で追いかけているのかに対する疑問はあちこちで投げかけられておりますが、あの韓流とやらにわが亭主には失われてしまった、或いは元々存在しなかった「素敵」を求めてしまう憐れな中年女性には同情いたします。あわせて、虚構と現実の区別がつかないという知能程度の低さに心からお気の毒に思う次第です。

韓流に限らず、有名人というものは市井の凡人には常に憧れの対象なのでしょう。大学時代、クラスメートに当時のトップランクに位置する芸能人がおりました。テレビ局に近い学校であったため、時々、舞台衣装のまま受講していることもありました。ごく普通にクラスメートとしてつきあっていたはずなのに、舞台衣装を着た彼女は何故か別格になってしまい、話し掛けるのも憚られたような記憶があります。別の友人にそういう話をすると決まって「サインを貰ってきてくれ」と言われたものですが、その頃からひねくれ者であった私は「単なるクラスメートであるからして・・・」と断っておりました。今思えばあの時、サインをたくさん貰って他の友人達に販売でもしておれば、それなりの小遣い稼ぎが出来たのにと後悔しております。

家族や身近な友人、知人というものは私達のことを理解しており、困ったときには大きな助けになります。たまたまその中に有名人がいればそれはそれで面白いことかもしれませんが、有名人であればあるほど遠い存在になりかねないという危惧もあります。自分と同レベルの凡人であるが故に自分と同じ目の高さでいろいろな事柄を考えたり意見したりできるもの。それを何故か、有名人様のご発言は身近な、問題点の理解度が高い人間よりも尊重してしまうのが凡人の為せる悲しき性のようなものに感じられます。

ラジオやテレビの人生相談など・・・今日会ったばかりの、それも有名人様は貴方のことなどその場で忘れてしまうような方のご発言でも後生大事に「○○さんがこう言っていた」と生涯、無形の宝物として凡人の心には残るのでしょう。韓流スターが成田空港に到着し、ほんの一瞬目が合っただけで、人生最大の幸福に感じられる依存症の中年女性の話を耳にするたびに、本当にお気の毒であると思いつつも、それだけで幸せになれるということに対して羨ましくてたまりません。私にはもっといろいろ感動しなくてはならないことがたくさんあるもので。