受験生様が罷り通る

神様は大学入試センター試験が行なわれる日に雪を降らせるそうです。大学を受験し、最高学府の生徒となろうという選ばれし者には、七難八苦に耐え抜くことも必要であるからです。受験生はその日の為に寝食を削り、生きる楽しみを犠牲にし、その家族に至るまでが皆、万全の協力体制を敷いて試験当日に臨むというのに、不合理なことに雪が降り、電車が遅れます。また、その他にも、試験会場の不備が発生することも多々あります。本年は何やら聴き取り用の機器に問題が発生したそうです。

お隣の国、半島の南部では、この受験のためならパトカーやら救急車やらまで出動し、受験生が無事試験を受けられるという挙国体制ができつつあるそうです。そしてそれらが美談として我が国でも報道されます。そういえば昨年は我が国でも新幹線に乗り間違えた受験生のため、本来停車しない駅にその新幹線が停車したというお話が美談として報道されていたような記憶もあります。

大学受験ではありませんが、柔道連盟の役員をしている為、その昇級、昇段審査会の役員をしたり、いくつかの検定試験の試験監督をやる機会が多々あります。先日は、柔道の昇級試験を受験する中学生がその受審票を記入するときに「筆記用具ありますか?」と言ってきました。「貸していただけますか?」ではありません。「君は試験を受けるときに筆記用具を持って来ないのか?」と問うと、「会場で準備しておくのが当り前じゃないんですか」と来たもんだ・・・本当に恐ろしい世の中になったものだと感じた次第です。

受験生というものは「選んでいただく」ために受験するのではないかというのは時代錯誤なんでしょうか。前述の隣の国では受験生様が大切に扱われている様子ですが、その姿を真似してでもいるのでしょうか。受験生の為に関係無い人々が便宜を図ることは果たして世の中の為になるのでしょうか・・・と疑問が噴出してしまいます。そうやって特別扱いを受けて受験し、最高学府なるものに入学し、バイトと合コンに明け暮れた後、彼等は社会人となっていくのですが、身についているのはその他力本願主義でしかありません。より人様の世話になった連中ほどその考え方が染み付いてしまい、結局人を敬う、人に感謝する等の気持ちを持たずにより良い学校を卒業し、より高い地位に就いていきます。それを増長しているのは他ならぬ我々「庶民」であることに気がつきましょうよ。その為に神様は大学入試センター試験の日を狙って雪を降らせているんじゃないんですか?