自己責任

米国がイラクへ侵攻したとき、我が国の国籍を有する「残念な人達」が何人か人質となり、メディアは賛否両論でしたが、自己責任なるものが問われた一時期がありました。日本国の法律としても、人間としてのモラルとしても、自国の国民が危険に晒されていたら国家は最大限の努力でその安全を守るべきであるというのは当然のこと。たとえ「残念な人達」であったとしてもそれは否定いたしません。

その頃、自己責任などという言葉が飛び交う理由というのはどうしてなのかと強く疑問に思いました。身勝手な、私利私欲を全うするために出た行動の結果、他人に迷惑をかけてしまったとしたら、詫びるのが当然であるはずなのに、彼等の家族やお祭り騒ぎで支持していた妙な団体さんは何もかもが国家の責任であると叫びつづけ、無事救出されてもたいした謝意も示していなかったような記憶があります。

平成17年末から耐震構造問題のマンション販売業者が槍玉に上がり、年が明けて今度は急速に成長したIT企業の粉飾決算による株価不安が発生しました。メディアはここぞとばかりにそれらを社会問題として取り上げ、当事者の責任を問うのみならず国家やら行政やらに大きな責任を負わせようとしております。果たしてこの場合の「被害者」は誰なんでしょう?

このようにひとつの案件で大勢の「被害者」が存在した場合、メディアが喜んで取り上げるので社会問題となりますが、1人の消費者がひとつの不良商品を掴んでしまった場合は問題になることは皆無に等しいと思われます。実は、骨抜きマンションを購入した人は、単に不良品をつかまされただけですから、本来、当事者同士のやりとりであるべきものをメディアの後押しの中で行政の手助けを借りつつ解決に向けて歩んでいるのだと言う事です。お気の毒ではありますが。更に某IT企業の影響で株価が急落したとしてもその株式は自らの意思、いや、むしろ欲得で購入したものであり、他人の責任にするなどもってのほかであると思います。私は、十年以上前になりますが、商取引の中で半ば詐欺のような不渡りを喰らうという経験をいたしました。その時、数百万円の損失を出しましたが、確かに愚痴も言えば仲間に助けを求めることもしたとはいえ、それは決して政治が悪いからでも行政が何かを怠ったからでもなく、自らが利益を出そうとして不良品をつかまされただけの話であります。イラクへ行った人もマンションを買った人も株を買った人もその行為において、私の失敗談と同じだけの自己責任が存在しているはずで、それを他人の責任にするなど卑怯であろうとしか考えられません。