母国語としての日本語教育のあり方

世の中ではなんとなく「日本語ブーム」という状態にあるようです。敢えて旧仮名遣いを当てはめたり、昔の表現を使ってみたり、はたまた事あるごとに四字熟語をこれ見よがしに使う人が増えています。その反面、実は最近の日本人は語彙数が減少しているようで、何でも画一的な表現をしてしまうところも目立って感じられます。

四字熟語がブームになるのは決して悪いことではありますまい。ただ、四字熟語は日本語という分野の中ではかなり高度な部分であり、基本ができていないうちから小学生に使わせるものですから、時としてチンプンカンプンなところで使ってしまう例も後を絶ちません。そもそも、昔の教育理念と言うか、義務教育において根幹をなしていたのは「読み・書き・算盤」であります。言わば「基礎教育」であり、誰もが必要とするものだけを学校で教えたはず。

時代の変遷とともに、派生的にいろいろな学科が学校に存在し始め、気がつくとご飯よりおかずだらけの状態を生み出しました。結果、正しい日本語の用法を教える時間が削られ、語彙力の低い子供を量産するに至ったわけです。社会科や理科は確かに高度成長した現代社会では学んでも良いところでしょうが、アイロンのかけ方とかご飯の炊き方なんぞは、家庭において覚えれば良い事で、何も学校という場で行なわなければいけない教育では無いでしょう。そうやって、基礎教育の部分を削りつつ、余計なお世話が増えていった挙句の果てが今日の社会であります。

そして、「これではいけない」とでも考えたのでしょうか?いきなり音読をせよとか漢字書き取りをやるとかの日本語教育熱が義務教育において強調され始め、それも、何やら難しいことばかり教えようとしています。子供達にとって必要なのは、四字熟語や古語を覚えることではなく、まず日常生活で使用し易い語彙を身につけさせるところからスタートすべきではないでしょうか?今の日本語教育は逆上がりが出来ない人に大車輪をせよと言わんばかりのような気がしてなりません。本当に必要なのは、表現力の豊かさであります。四字熟語の前に二字熟語を多く身につけさせるべきではないでしょうか?日本語というのは美しい言語です。そして語彙が豊富で、ひとつのことを表現するにも多種多様な方法がある言語です。一人称単数表現ひとつとってみても、英語なら "I" 以外はほとんど使われていないというのに日本語では「わたし」「わたくし」「ぼく」・・・最低でも10種類は挙げられるでしょう。是非、義務教育の中で、国語の時間を増やしていくようにしていただきたいものです。