うましくにそあきつしまやまとのくには

舒明天皇が香具山に登って国見をされた際、詠ったと言われる我が国を良い国だという内容の詩の末尾の部分をタイトルにしました。その時代、日本の人口は私の想像ではせいぜい数百万人、さぞかし良い国であったでしょう。舒明天皇からおよそ百代の天皇家という時が経ち、現代の日本国ははたして良い国なのかどうかは多くの疑問を投げかけられるべきところでしょうが、私は大変良い国であると感じております。

島国であり、他国の侵略対象になり難い立地条件、そして、農耕民族であり、闘いを好まない歴史を持つ我が国の国民は歴史的に見た場合、ほとんど戦争をしておりません。13世紀の後半、見たことも無いような武器を携えた蒙古の襲来、16世紀末に時の為政者による朝鮮半島への侵攻、19世紀後半にほぼ無血とはいえ、米国に侵攻され、19世紀末から20世紀初頭にかけ、日清日露戦争を経て20世紀前半の大東亜戦争を以って我が国の戦争史はほぼ終止符をうっております。つまりは、歴史上、せいぜい5〜6回の対外戦争経験があるだけであり、30年おきに戦争を繰り返す欧米の人種とは比較にならない平和主義者であります。

同じアジア人でありながら、事実上50年間戦闘状態にある南北朝鮮や嘘の歴史で塗り固めた大陸の13億人を擁する共産国家とは大違いではないでしょうか?その大陸や半島の元々は同じルーツとも思える人種が、特に1990年以降、私達にちょっかいを出してきています。喧嘩の理由などなんでも良いわけで、足を踏んだ、肩が触れた、更には目つきが悪いだけで始まってしまうもの。今、彼等は戦争責任あたりを錦の御旗として事あるごとに我が国にちょっかいを出しているわけです。隣の家の猫が我が家の庭を横切り、しかもその家は境界線近くに穴を掘り我が家に生えている根菜を切り取って持っていき、布団を叩いて埃がこちらへ飛んでくるような日常に、心が広い我が国の人々は黙っているだけです。

「うましくにそ」・・・彼等にとってみたら我が国は美味しい国なわけです。クラスの中で、一番の優等生で一番お金持ち。そして、いじめても文句を言わず、脅しをかければカネを寄越す生徒のようなもので、しかもそのいじめっ子が学級委員長をやっているような国連があるわけですから、始末が悪いものです。いじめにあったら子供はどうすればよいか?毅然とした態度で正義を主張し、恐喝などは怖れない。こちらから喧嘩を売るようなことはしてはいけないが、売られた喧嘩は買っても良い。ヤマトオノコのプライドだけは捨てたくありません。