一億総愚民化計画

東京タワーが出来た頃を舞台とした漫画をベースにした映画が流行っているそうです。「三丁目の夕日」は、20年ほど前、少年時代の懐古に浸れる楽しい漫画でした。尤も、東京タワーが出来る直前の生まれですので、ほんの少しのタイムラグはあり、漫画の中には自分の実体験ではない部分もそこそこ存在していました。

その実体験であった私が既に50歳を目前とし、今の若い人々が「昭和懐古」のような考えを巡らせるのは我々の世代が第二次世界大戦をモチーフしたものに対して憧れていたのと同じ状況ですが、不穏当なモノに対する憧れよりもよほど良いことに違いありません。然し、考えてみれば東京タワーはテレビジョン放送の象徴、そしてそのテレビジョンは昭和33年の皇太子(現天皇陛下)のご成婚と昭和39年の東京オリンピックによりお茶の間へ配置されるようになり、昭和40年代初頭には「一億総白痴化計画」なる言葉が存在しておりました。

それから約40年、その計画はほぼ完成段階にあり、ブラウン管を通じて伝達される情報無しに我が国の国民は生きていけないに等しい中、毎日ニュースのふりをした虚構や、知的レベルとしては箸にも棒にもかからない芸人達が物知り顔で無責任な発言を垂れ流ししております。始末が悪いのは、活字を通じるより早く、簡単に情報が伝わる手段ですので、ごく僅かの聖人君子を除けば殆どの人がその情報だけ入手すれば充分であるというところです。

「犬が人を噛んでもニュースにはならないが人が犬を噛むとニュースになる」というのも昭和40年代の言葉でした。結果、人が犬を噛むのがいつのまにか常識と化してしまい、最近では人が犬を噛んでもニュースにならないでしょう。最大の事例は、教員が生徒を殴るとニュースになりますが、生徒が教員を殴ってもニュースになりません。指導する側が指導目的での行動を取ることを世論とやらを利用した似非教育者達によりその行動を奪い去り、あたかもそれが正義であるようにしております。「ナンバーワンにならなくても良い。世の中を悪くしたのは政治家。勉強のできるヤツは嫌なヤツ。上司の命令には従わない。人の道を外すのが格好良い。」と、例を挙げればきりが無いのですが、昭和40年代にこのようなことが正しいと思っていた我が国の国民はどの程度いたのでしょう。言葉狩りが行なわれ、「一億総白痴化計画」という言葉も使用されていないでしょうから、表題に「一億総愚民化計画」と書きましたが、既にご存命では無いでしょうが、この計画を作られた方々のご成功をお慶び申し上げつつ、私はそういう世の中では生きていけないので、「革命軍」としてこれからも街の片隅で細々と活動していくつもりです。