早期英語教育の必要性


中学校に入学し、初めて「英語」という教科を知りました。小学校の頃、同じクラスの子供達で何やら塾に通っていて不思議な言葉を勉強している連中がいたような気はしていましたが、これが英語というものであることに気がつくにはそれから暫くの時が必要でした。初めての英語の授業、先生が「小学校の時に英語を勉強したことが無い人、手を挙げて」と仰るので、元気良く「はい!」と手を挙げるとなんと50名ほどの教室で手を挙げたのは2〜3人・・・いくら坊ちゃん嬢ちゃんが多い学校だったとはいえ、今思えば昭和40年代としては珍しい現象だったでしょう。

時は流れ、世の中ではブームというよりは、米国至上主義信仰のように英語教育の必要性が語られております。小学生はもとより、幼稚園児にも、果ては「ゼロ歳時からの英語教育」までが巷に溢れ、私のような半可通の日本語研究家にしてみれば、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがありません。世の親御さん達は、自らが学生時代に勉強することを怠り、目の前に欧米人が現れるとおどおどし、話し掛けないでくれと祈った経験者なのでしょうか、自分の子供達にだけはそういう想いをさせたくないなどと申されるのです。そして、日本語も碌に出来ないうちから英語教育に力をいれて、正しい日本語の使えない若者を量産しているようです。

負け犬の遠吠えとしてこのようなことを発言しているのならその方が世間の共感を得やすいでしょうが、実は私は中学校一年生以来、高校を卒業するまで英語という科目では必ずクラスで一番でしたし、高校時代には一年間の交換留学経験(昨今の「語学留学」等、くだらない業者の利益のための留学生ではありません)があり、大学一年生で英検一級を取得しているエリートチームの人間です。そして、英語のみならず、ドイツ語、スペイン語他、6カ国の言語において、日常会話程度であれば不自由しません。「そりゃあ、さぞかし上流階級のお育ちで家庭教師もたくさんついていたのでしょう。」「勉強のできる人は羨ましいですね。」などと、お褒めの言葉というよりやっかみを込めて言われますが・・・

小学校から英語を勉強していた同級生は未だに英語など話せない人種です。そして、中学校から始めた私はそこまで豪語できる「英語使い」になりました。早期英語教育を実施すると、英語のできない人間に育つというはっきりした例が―ただしあくまでも一例ですが―ここにあるわけです。私は常々言っておりますが・・・「アメリカに行けば3歳のガキでも路上生活者でもちゃんと英語を喋っているじゃないか!奴等は『英語教育』なんかうけていないぞ!」