最高学府を卒業した愚鈍な方々

職業に貴賎なしといわれておりますが、世の中では当然のように貴賎をつけております。未だに士農工商という考え方は失われておらず、医者、弁護士、議員の大先生の方々の一部には「○○さん」と呼んだだけで不機嫌そうな顔をされる方がおられます。

私の父親は高等学校の教員で、その地位においては「士」に属していた人間です。生徒相手に人の道を説き、やれ社会貢献だ、やれ道徳心だと語りつつ、自他ともに人格者として認められていた人物でありました。その不肖の息子である私は刀を捨てメーカーすなわち「工」の会社に就職し、営業部門に配属され「商」のジャンルに属しました。その後独立し、いわゆる商工自営業という分野で糊口を凌いでおりますが、地位としては低いようです。

大学という学問所を卒業し、商家に丁稚奉公し、暇を出され仕方なく自らの暖簾を出したというのは士農工商の発想からは考えられない転進ですが、実は世間では多くの方がその道を歩んでいる様子です。ましてや、一昔前の階級で言えばきっと低いであろう瓦版屋とか芸人とかが今はレベルの高いものとなり、最高学府の出身者が続々とその業種へ進んでいます。つまりは職業の貴賎というものは時代の流れで変化したようで、世間から蔑まれる類の人種は、行政関係者、即ち昔の奉行所務めの方々の様子です。ただ、世間では蔑んでいるだけではなく羨んでいる部分も多いでしょう。

それにつけても、昨今、ブラウン管を通して東京大学という最高学府の中でもトップレベルであろう大学を卒業された方がなんと多く登場していることか。昭和時代にもブラウン管を通してそのような方々を拝見しておりましたが、彼等は一様に頭脳派の代表というか知識を商品として登場していたはずです。昨今の東大出はどういうわけか「東大というところはバカでも卒業できるんですよ」と言わんばかりの愚鈍ぶりを露呈し、さしたる学問的知識を持っているとは思えない芸人さん達に良いように玩具とされている場面がなんと多いことか。

東大に限った話ではありませんが、少なくとも最高学府と呼ばれる「大学」を卒業しているのであれば、その人物が商品として胸を張るべきは無能ではなく知識ではないでしょうか。あまりに無能を商品としてしまう芸人が多く、それも本当に無能であるが故にこの国の行く末を考えていくのにどうしても不安がよぎってしまいます。