子供から搾取、トシヨリに還元

子供に関わる産業が花盛りです。出産からスタートし、ベビー服、知育玩具、幼稚園からお受験、まだ日本語もろくに話せないうちからの英会話教材・・・列挙したらきりが無いほどです。おしめは母の浴衣をほぐしたもので、つぎはぎだらけの服を着ていた少年時代を過ごした世代にはさっぱり理解が出来ません。

子供は国の宝ですし、当然自分の子は可愛いですから、いくら資本投下しても否定はしません。然し、その方向性には疑問を持たざるを得ません。ただ、国の宝でありながらその投資は親の負担になりすぎています。最大の例が学童預かり等で、それを商売にしてしまう時代が来てしまいました。無償の互助活動が行なわれた村社会が崩壊した今、近所の家に子供を預けて出かける人などまず見かけません。この辺が、本題とはずれますが、コミュニケーションの欠如に繋がり犯罪を助長し、社会が淡白になっていく原因なのでしょう。

子供を「喰いモノ」にしている例を更に考えてみますと、特に教育の分野が強いと思われます。前述のように「お受験」なる言葉が使われるようになってからそのための傾向と対策を教えると称し、半ば新興宗教のように子供が塾通いをする。それも深夜に至るまでハシゴをしている小学生が珍しくないそうです。それらの子供達のため、親は高額な月謝を支払い、故に生活苦に陥るから当に少子化となる原因を作っているというのは「風が吹けば桶屋が儲かる」の理論でしょうか?これらの子供達の為に国家は、行政はたいしたことをしてくれず、行政の管轄である学校は役に立たないと言わんばかりのアジテーションに乗せられている親にも問題はありますが・・・そして、不必要なまでにその息抜きのためのテレビゲームやら玩具やらが氾濫し、そこへも子供達を媒介した搾取が行なわれていくわけです。

ということで、行政というものは言葉の上で立派なスローガンを掲げつつ、実は何もしないので、民間がカネになるものに群がる図式がこの教育問題です。学校の先生の言う事は当てにならないから塾の先生に相談するなんぞは何事か?学校の先生が役に立たないと考えるならトシヨリを活用したらどうでしょう?私が提案しているのは、地域のお年寄りを小学校低学年の教室に配属し、授業の合間に昔の遊びなどを教えたり昔話をしたりするというシステムですが・・・まあ、実現するまでにはあと数百年かかるのではないかと思いつつ言い続けるつもりです。