生類憐れみの令(2)

声帯除去手術や去勢手術を施されてしまう気の毒な愛玩動物の話は以前書きましたが、今日はこの季節に気になる人類の暴挙を考えてみたいと思います。宗教心の薄い我が国の人種はある意味排他的なところが少なく、生まれたら神社にお宮参り、結婚式は教会で、そして没すれば本来自分の家が何宗であったからとかでの仏式の葬儀というパターンが多数派ではなかろうかと思います。そんな我が国の人々は宗教的見地からではなく、むしろイベントとして多くの宗教行事を取り入れ、まさに社会催事といった感の強いのがクリスマスです。

百貨店も商店街も宗教的見地には関係なくクリスマスセールですし、若者の恋心はクリスマスイブが決戦の日と化し、日本人が1年で一番セックスをしているであろう夜がクリスマスイブとなっております。そんな中、数年前からイルミネーションなる不思議な動きがそこここの住宅街で見られるようになり始めました。当然、海外では以前よりイベント的にてこの季節になるとみうけられるものでしたので、日本人だけを責めるつもりはありませんが、それなりの宗教心を持たず、加熱するこの風潮には危機感を覚えざるを得ません。

今、地球規模でエネルギー不足が取り沙汰されている中、やっと「節電」という認識が定着してきたというのに、何故ここで無駄なエネルギーをそこに注がなくてはいけないのでしょうか?自己満足も自己主張も大いに結構ですが、日本中のイルミネーションなる無駄を行なっている方々がその電力を節約したら、どれだけのエネルギー資源確保に繋がるのか、専門家ではない私には想像できません。もしかしたらたいした量では無いのかもしれませんが、ゼロということはありますまい。

ところで、タイトルに「生類憐れみの令」を持ってきた理由は、この愚行が動物に対して行なってきている虐待よりも顕在化しない植物に対する虐待であるというところからであります。太古の昔より植物は太陽の恵みと夜の休息の中に生き、天文学的な数の生命体を育んできた地球の主であります。その昼と夜のサイクルをただでさえ壊してしまうような時間に妙にチカチカと照明をつけ、そのからだを電線でまいているというのはこれは冒涜以外の何者でもないと考えてしまうのでして・・・私達が生まれる前どころか、樹齢をみれば聖徳太子卑弥呼より昔からここで暮らしてきた先達もいる私達は不必要に痛めつけているのですから、これぞまさに「生類憐れみの令」が必要な時期に来ていると思った次第です。我々人類が「近代化」したのはたかだかこの100年程度のこと。このような急速な進化はあと100年で破綻することを危惧しつつ、ゆっくりと、自然に近いところで生きていきたいものです。