葬儀のBGM

年齢と立場が為せる業でしょうか、私は葬儀に参列する機会が比較的多い方であろうと感じております。また、同窓会他、いろいろな組織の「便利屋」としてこき使われている立場でもあるので、受付の手伝いも多く、先輩方からは「葬儀屋ができるんじゃないか?」などといわれる始末。毎月2〜3回、多いときは5回とか、或いは「通夜のハシゴ」なんぞも経験したことがあります。

最近の葬儀に参列すると、一昔前ではあまり無かったBGMが流れているという演出が目立ちます。故人が好きであった曲、或いは、ご遺族の方が選んだ曲である場合が多いようですが、当然の事ながら、静かであり、荘厳な曲で、クラシック音楽がほとんどです。一度、最近の流行歌が流れておりましたが、その時の故人は現代音楽の関係者で、若くしてこの世を去った方でしたので、まあ「許容範囲」と言うべきか・・・といったところでしょうか。

先日、大変お世話になった先生の葬儀に参列いたしました。会場には荘厳な雰囲気を醸し出すべく流れているホルスト交響曲「惑星」より「木星」の主題―尤もこの「木星」は主題がたくさんありますので、わかり易く言えば何やら音大生であるというだけで歌の基本が出来ていない流行歌手が妙な歌詞をつけて歌謡曲として流行させた部分とでも表現いたしましょうか―何故、ここで木星なんだろうというとてつもなく違和感を覚えつつも、故人が好きであったとかご遺族が好きであるとかそういう理由であろうと自分を納得させておりましたが、葬儀の後、ご遺族の方にお尋ねしてみたところ、葬儀屋からの奨めであったとの由。

これには驚きました。故人やご遺族が望まれたのならまだしも、葬儀屋たるもの、故人を送るのによりによって快楽の神である木星を使うとは・・・ホルスト組曲「惑星」では木星とは快楽を貪る神としての描写がされているという説が主流であり、一部にはこの主題部分は性行為の後の静寂であるという解釈まであるこの曲を使うとは・・・考えすぎだと仰る方のほうが多いでしょう。ただ、我が国の先人は「場違い」を忌み嫌ったのではないでしょうか?どうして葬儀屋がそういうことを奨めてしまうのか―つまりは、無知が為せる行動でありますが、「知らなくても良いではないか」で済ませすぎる傾向が強いと思います。結婚披露宴のスピーチでは忌み言葉を殊更に嫌い、不必要なまでに気を遣ったスピーチをされているのに、しめやかに且つ厳かに行なわれる葬儀に関してはどうでもよいことになってしまうのでしょうか。せめて私だけは、慶弔いずれも同じように気配りをする所存です。