馬鹿自慢をする本格派の馬鹿

他人が知らないことを自分が知っていて、それをあたかも知らないことが恥であるかの如く語る人の話は前項で書いたとおりですが、その裏返しも存在していることに気がつきました。殊更に知らないことを自慢する馬鹿のお話です。

つまりは「馬鹿自慢」ということで、宴席やちょっとしたブレイクが欲しいときにおどけてみせる中にそのような行為に及ぶうちはまだまだ。何らかの打ち合わせ中などで知っていることを前提に淡々と議事が進行した後、いきなり「ところで○○というのは何だ」などと聞いてくる馬鹿者がおります。この馬鹿者には二通りあり、本当に知らない馬鹿か知っていて知らないフリをする反逆者かのいずれかです。たちが悪いのは後者で、良くある例としてはエラい方々が根回し的に説明を受けていなかった場合「私は聞いていないよ」といった不機嫌を示しつつ、「オレは知ってはいたがオレに断りも無くここまで話を進めたのだから『知らねぇよ』」となるようです。

そのような事態に陥ったとき、私は大抵の場合、「では、今までの説明でご理解いただいた範疇で・・・」と続け、相手にしません。無駄な説明の繰り返しこそ他の「知っている」人達に対する冒涜であると考えてしまいますので。逆手にとって「こんなことはご存知だと思いました」という手もあるのですが、それでは売り言葉に買い言葉となりかねないというところもあります。要するにかまって欲しいだけの馬鹿ですからかまってやらなければ諦めるか理解している風に装い参加してくるかのいずれかです。

知らない自慢(つまり、馬鹿自慢)は別の形態があり、むしろそれは「出来ない自慢」のようなものです。一番良く見かける馬鹿は政治談義に入ってこない連中。彼等の理論では政治家なんか要らないのだそうで、世の中が悪くなるのは政治家がいるからなのだそうです。彼等はちょっとスイッチを入れてやると更に政治不要論を声高に語り、続いて行政の不要論を語り、大企業が悪いと叫び始め正しいのは自分だけであるというところに完結します。私から見れば本当にいじりやすい馬鹿です。こういうヤカラに限って投票に行かないか無条件で共産党に投票するわけで、正しい共産党支持者の方々はその分得をしているのだろうな・・・というところまで見えてきます。まあ、そうこういいつつ、そういう馬鹿に対しては心の中でこう言ってやりますよ。「そんなことばかり言っていてオマエがどうなっても『知らねぇよ』」と・・・天に唾しているのは私でもありますが・・・