先生っ!

大宮駅東口を出て南へ歩を進めるとそこは「南銀」と呼ばれる繁華街です。30年程前、当時現職教員であった父に連れられ、大学生だった私がその南銀のとある店(一般的な飲食店ですが)に向かっていくと、右から左からそして、前に立ち塞がるように呼び込みのお兄さんたちが「社長っ!」と声を掛けて来ます。飲む・打つ・買うの三拍子に一切縁の無い聖人君子の日教組であった父は不機嫌そうにその呼び込みのお兄さんたちを交わしつつ歩いておりますが、その反動で頽廃的な学生生活を送っていた私は半ばにやにやしているわけで、「若専務っ!どうですか、社長とご一緒にっ!」と勢い良く声を掛けられたものです。

その街の姿は30年経過した今でもさほど変わらず、時々「夜の街にがぉ〜っ!」と仲間内で呼ぶ行為に出ると、未だに全方向から「社長っ!」と声を掛けられます。「青年実業家」なんぞという甘い響きについふらふらと若くして起業してしまい、諸先輩方曰く「社長ごっこ」をしている私も社長の端くれですので、「うむ、正しい声の掛け方であるぞ」なんぞと思いつつ、雑踏を掻き分けていくのですが、社長と声をかけられる大方の人は実際は社長ではないのにそう呼ばれる。すなわち、社長になりたかったらわざわざ資本金と度胸と印鑑を用意する必要は無く、夜の歓楽街を歩けばそれだけで良いわけです。

前置きが長くなりましたが、その30年前、「先生」と呼ばれる人は学校の先生、議員、医者、そして、弁護士等に限られ、無礼な表現をすれば、最低限「学士」であったと記憶しております。ところがいつの日からか誰もが先生になってきてしまったような気がしてなりません。私の想像では、発端は美容師さんあたりではないかと思います。床屋さんに先生はいないが美容院には先生がいるというのは私の目には奇異に映ります。更にはマルチ商法に良く見られる健康関連グッズを説明する人も先生、百貨店等で着物や貴金属、そして化粧品の「お見立て」をされている方々も先生・・・私どものソフトウェア業界でもちょっと実務指導に行くと先生と呼ばれてしまいます。

その昔、「貴様」や「お前」というのは尊敬語的に使用されていた表現ではなかろうかと考えたとき、これから数十年のうちに、「先生」と呼ぶのは尊敬語ではなく半ば蔑称と化していくのではないでしょうか?「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし」なのかも知れませんが、尊敬語の安売りはむしろ耳障りであろうとついつい思ってしまう今日この頃です。