昔の美談が負の遺産―年金という世代間マルチ商法

人間とはまことに愚かな生き物であり、世の為人の為に作られたはずの物を道を違えて使用する歴史を繰り返しております。利便性の為に先人達が長年の研究の成果として作り出した爆薬で大量殺戮を行い、より安全な発電の道具であったはずの核施設から核爆弾を作る。どのような良いものも使い方次第で悪魔の道具と化してしまうわけです。

いつの日からか、世の中の中間的年齢層にいた人々が「60歳まで生きていた方々は充分に社会貢献してきたのだから、その後の生活の面倒を若い者がみましょう」と考え、年金なる制度を導入しました。その時代には全人口の多くの比率を占めていたであろう非年金受給世代は、将来の自分の為でもあり現在の先輩達の為にもなることから、せっせと年金なるものを積んでまいりました。何世代かの後、本来の労働人口世代の比率が減少し、その昔国民男性の平均寿命が55歳前後であった頃に「平均寿命まで働いたのだから残りの人生を楽しんでください」という主旨で設定された定年という制度が「トシヨリは役に立たないのだから仕事場から出て行け」という制度に置き換えられ、追い出されてしまったトシヨリがその腹いせに若い者の生き血を啜りつつ長生きしようという恐ろしい制度に化けてしまったのが現在の年金制度である・・・と言ったら世の中のトシヨリに総スカンを喰らいそうですが、敢えてそう表現させていただきます。

20年、30年前からこのままでは破綻すると言いつつ、何の手も打たずにいた結果、いよいよ団塊の世代が世間的に言う定年退職を迎える時期が来ているという昨今、確かにそれまで年金を積み立ててきたでしょうが、それは自分の親の世代にそのまま渡されてきたものであることに皆気がついていません。世間で言う定年にあと十年少々を残す私にしても、今まで支払ってきたものがそのまま残っているなどとは努々考えてはいけないことであろうと思います。これから十数年、私の支払うものは団塊の世代以上の皆様へ「献上」させていただくとして、では、「積んできたのだから寄越せ!」と言う時代には・・・一部乗り遅れた新人類世代、団塊ジュニアの皆様方が収める今より少ない額を奪い合い、そして、昭和40年以降に生まれた方々は「その昔、『年金』という酷い制度があったのじゃ・・・」と孫に語るときが来るのです。

世の為に貢献した戦前戦中派の皆様、そして団塊世代の皆様。充分にその権利を行使してください。マルチ商法の末端にいるその後の世代である私達が損な部分だけは請け負いますので。自虐的な言い方ですが、この国家レベルのマルチ商法と化してしまった昔の美談的制度をいかに是正すべきか?・・・それを考えるのが微々たる年金を給付される可能性の残された私達の世代なのではないでしょうか?