若さゆえの悩み

30年以上前でしたが、「若さゆえ、苦しみ、若さゆえ、悩み」と唄った流行歌がありました。未だ私が小学生であったのではないかと思います。その後、思春期にさしかかり、本当に若さゆえの悩みに苛まれ、オレの人生はどうなっちまうんだろうと悶々とした記憶もあります。

さて、若さゆえの悩みって一体なんだろう・・・と考えたとき、既に中年から初老になろうという私には何ら理解できないものとなっております。それぞれの世代において悩んだことは多く、ましてや、現時点で悩み多き中年ですから、具体的に「これぞ『若さゆえの悩み』である」などと定義できるものはありません。悩みというものは世代に左右されるものとそうでないものがあるはずで、若いときの悩みなど、加齢とともに瑣末なものと化していくだけです。

転じて、若さゆえの特権も同様。確かに肉体的な可能性は若いときでなければ所有していない場合が多いと思われます。日々、思考能力、記憶力、視力、体力が低下していくのを実感するようになり、初めて「後悔先に立たず」という言葉の意味が理解できるようになりました。あの時もっと勉強しておけば・・・あの時もっと精進しておけば・・・ということで、実はその時点では「オレはまだまだ行ける」と勝手な思い込みで生きていました。20代になれば10代の頃が、そして30代になれば20代の頃が・・・と反省しつつ、今、40代の終盤において、「オレの40代は無駄に使われてしまったが、50代になったらもうこれはできないだろう・・・」ということが多々あります。

若さというものはかけがえの無い財産だとやっと理解できるようになったわけですが、当然、諸先輩方には「まだまだ若いんだから」と私を戒めます。その相対的な「若さという財産」を有しているのだから、それを大切に生きなければいけないのでしょうが、実質、70代であろうと80代であろうと、100歳を超えようとその時点での「若さ」は存在しているでしょう。とはいえ、裏返しに最近のワカイモノ、特に歓楽街のねぇちゃん達が「「まだ若いもんっ!」とか声高に仰ってますが・・・「若さという財産」というものは素晴らしいものである反面、いろいろな資産と違って絶対に増えるものではなく、日々食いつぶしていくだけの財産であることに気がついていない様子で・・・明日の自分は今日の自分より資産が減少している中、知識なり人脈なり違う財産を身に付けていかなければいけないと自分を戒めることにいたします。