全面否定

自らの主張を強調するためにレトリックを駆使し、上手に立ち回るのが昭和時代までの日本人であったと思われますが、昨今ではデジタル化の波に人心も呑まれてしまったようで、全てのものをゼロかイチかで判断することが流行っているようです。日本人の得意技であった曖昧と妥協は世の中のメディアに抹殺され、「郵政民営化は賛成か反対か?」から「ラーメンとチャーハンのどちららかのみを選択せよ」というところまで○×選択とされてしまいます。

「無条件で反対」というものがあることは否定はできません。例えば殺人について、是非を問えば、賛成派がいるとしたらその方は性格破綻者であると思います。ところが、そのような極論に至っても、それは、ゼロとイチでは計り知れないことであります。もし、自分の家族から親戚、友人に至るまで、身の回りの人間を何十人も殺した犯人が目の前にいたとしたら、私ならその瞬間、殺人肯定論者となるでしょう。あくまでも極論ではありますが。

と、このように、どのような事象にも、決して瞬時の判断で黒白を決定できるものは存在せず、そのバックグラウンドを慎重に吟味・検討した上で結論を出すべきでは無いでしょうか。一部メディアで批判されている選挙制度などがその典型で、有効得票数の49%を取っても落選すればその候補者は人格の根底から否定されています。この先、憲法改正において国民投票が行なわれるとして、どの程度の感覚で賛成か反対かを決するのか、我々国民は慎重に検討をすべきところであるのに、メディアは競馬の予想か相撲の勝ち負け程度に面白おかしく報道しているところが心配です。
「味噌ラーメンにするのか塩ラーメンにするのか?」と言われれば、両方混ぜてくれとも二つとも喰うとも言えないという二者択一という条件下におかれることもありますが、「今日のところは味噌にしよう。でも次の機会は塩にしたいな。」という考え方を持つわけです。これを昨今の某野党議員達や一部報道人の発言に当てはめることは不可能で、彼等はとにかく全面否定をしています。

ではどうしたら良いのか・・・メディアに、特にテレビにでる人は「絶対」なんぞという言葉を使うのをやめましょうよ。何にでも全面否定して発言するから 政治家=悪、大企業=悪、等の不思議なゼロイチ判断が定着しているんです。政治家はたくさんの良い法案を通し、世の中を以前より良くしている人達であり、役所は日々、住民のための仕事をしているのですから、そのごく一部が悪事を働いた場合は、あくまでも「全ての○○が悪い」と捉えるのではなく、個々の悪人を糾弾するべきです。今のままでは国民に1人の悪人が出たら連帯責任で日本国民全員死刑というところまで発展しそうで怖くてたまりません。あくまでも極論ですが・・・