ジェンダーフリーとかいうカルト教団

世の中にはそこここにカルト教団が存在しております。10年程前にはテロ行為まで発展したものもありましたが、そのように顕在化したものは世間が認めた「悪」ですから、言わずもがなといった範疇です。ところが、世間ではまことしやかに良いことをしていると信じつつ、文明・文化を退行させてしまう恐ろしいカルト教団に毒された方々がなんと多いことか。これは、ひとつひとつ例をあげて記事にしてみようと常々考えていたことです。まずは「ジェンダーフリー」という和製英語で人心を惑わせているカルト教団についてです。

この連中に牙を向くと二言目には「男尊女卑の権化」「女性蔑視の時代錯誤」と蔑まれますが、性差による世の中での役割分担と区別というのは当然のことであります。ただ、それにより、権利を剥奪すること、不当な差別をすることはあってはならないのも当然のことです。ところが、この教団の方々は「男はより女らしく、女はより男らしく」と言いつづけ、ついには、雌雄同体の蝸牛に人間を変えてしまえと言わんばかりの勢いです。

就学、就職、その他・・・人間生活における性差別は不必要ですが、男に子供が産めるのでしょうか?およそ、性別のある生命体として存在しているものは雌が子供を産み育む役割を当然のこととして行なっているのに、人間の雌(のごく一部)は、その役割を放棄しているとしか思えません。そして、そのジェンダーフリーという旗印の下、女性に不利なことは全て否定、男性に不利なことは当然のこととして主張しております。セクハラなどと言う不思議な言葉がありますが、女が男にしているセクハラはほぼ問題になったことがありません。

この際ですから、男と女の違いについてもう一度考え直してみたらどうでしょうか。そんなに同化したいのなら、風呂も便所も更衣室も全て一本化すれば良い。女には立小便はできないでしょうから、男も今後座り小便をしなくてはならない法律を作れば良い。全ての男が手術を施され、出産でき、授乳できる構造に変えてしまえば良い。出産できる機能を持ち合わせない者には選挙権を与えなければ良い。つまりは、ジェンダーフリー教団の皆様が望んでいる究極の目標はそういうところにあるわけでしょう。詭弁であろうと何であろうと、そんな世の中に生きていられるほど私は強くありません。何しろ、私は男性として女性が大好きであり、特に愛妻と子供達は命を賭してでも守る気概を忘れない人生を歩んでおりますので。