「大丈夫」という断り方

本日のテーマも「日本語の進化」です。ほぼ半世紀を生き抜いた「中年」にとってなんだか気持ちの悪い響きを持つ表現を考えてみよう・・・という無理矢理若者向けDJのような言葉を使っても、どうにもしっくりきませんが・・・

表題にある「大丈夫」という断り方は最近気になって仕方が無いところです。「コーヒー飲みますか?」という問いかけに「大丈夫です。」と言われることが多く、よくよく考えてみますと、それが"Yes"であるとしたら、「コーヒー以外に欲しいものがあるが、仕方が無いからコーヒーでも大丈夫です。」のように感じます。が、実は彼等の答えは"No"の意味であり、「飲まなくても大丈夫です。」という意味のようです。「大丈夫」というのは便利な言葉で、一体何が大丈夫なのかわかりませんが、「大丈夫だから・・・」でいろいろなことが誤魔化せてしまうとは思いますが、いずれにしてもなんとなく失礼に聴こえてしまうのは私だけでしょうか。

また、同じく否定形において良く使われているのが「無理」という表現です。この熟語を分解しますと、「理が無い」わけですから、本来は「オマエの言っていることは間違っている」といった内容を伝えたい時に使うのではないかと思いますが、「今夜食事でもしませんか?」という問いかけに「無理です。」と返ってくるのだから恐ろしい。それが自分の子供世代に等しい後輩に言われたりするのだから「オレモオチブレタモノダ・・・」と我が身の哀れを嘆いておりますが、彼等はそういう意味ではなく、もっと軽い否定形で使用しているのでしょう。

冒頭「日本語の進化」と表現しておきながら、それを覆すようですが、実は昨今の日本語は「語彙の集約」のようなものが進んでおり、もともとその多種多彩な語彙によって表情豊かであった言語がいつの間にやらシンプルになっているものの代表例かも知れません。短い言葉で全てを伝えようとする、当に「無理」なことをしているのがこれらの例であろうと考えている私は、「オマエは喋りすぎる」などと罵声を浴びせられようとも前述の例の場合、「コーヒーは先ほど飲んでまいりましたので結構です。」「申し訳ありませんが、今夜は他に約束をしてしまっておりまして、折角のお誘いではございますが失礼させていただきます。」などと言っております。尤も、こんなに長い文面を「大丈夫です。」「無理です。」でカタがつくのですから、本当はその方が合理的であり、時代の流れに乗っているということなのか・・・今風に言えば「ビミョー」です。