詫びない日本人

大陸や半島の一部の国々のこれまた更に一部の人々が日本に対して「謝れ!謝れ!」と言い続けていますが、いつからそんなことになったのだろうと思い返してみてもどうにも思い出せません。戦争責任???終戦の年に生まれた人が還暦を迎えた今年、本当に戦争責任のある人や彼の地において悪事を働いた人はどう若く見積もっても既に卆寿を過ぎ、大多数は鬼籍に入っていると考えるのが普通でしょう。親の借金を子供が返すのは当然なのかも知れませんがその借金は60年以上も前の話で時効も成立するのではないか?などと考えてしまうのは不謹慎でしょうか?

ただ、昨今、そういった事に対する反動ではないか?と思われる行動を日本人がとるようになってきたと感じております。それは、昨今の日本人は簡単に謝らなくなったということです。戦後世代・・・というより、いわゆる新人類と言われた昭和40年以降の生まれの人達は仮に何らかの注意をすると、まず「それはこういう理由があり、私の責任ではなく・・・」と述べ、「因ってこうなりました」という対応をします。その新人類の初期世代ですら既に40歳にならんとしておりますので、その少しばかり上の私の世代とは隔世の感があるのは、どうやら私の世代--団塊の世代以降新人類世代以前--は、まず自らの非を認め(或いは認めたふりをして)詫びを入れ、それから言い訳をしているようです。

「だってぇ〜・・・」という言い訳は子供の頃随分としました。「今やろうと思ってたのに」も数え切れないくらい言いました。ただ、私達の世代のそのまた親の世代(概ね大正末期から昭和一桁)は「謝りなさい」という言葉で私達を潰してきました。決して敵対心でそう言うのではなく、それは日本人としての美徳であろうと感じて育ってきたと思います。ところが、最近では、同世代の人間でも同様にまず言い訳から入る、或いは詫びることをしない者が増えているような気がしてなりません。これは、団塊世代以前の方々も同様・・・というより20〜30年前を思い出してみると、団塊世代の方々はそれ以前の世代にも私達の世代にも攻撃的に接していたというイメージが湧いてきますので、つまりはその辺が「詫びない日本人」の第一次世代なのかもしれません。

Noと言えない日本人どころか、まずは否定形から入る日本人がこのまま増殖していくということは我が国にとって良いことなのか悪いことなのか?私に答えは出せませんが、個々人が自分の非を認めた上で善後策へ繋げることは人間としてあるべき姿であると、少なくとも私はそうありたいと感じる次第です。