靖国神社論争

総選挙で自民党が圧勝して調子に乗った小泉純一郎総理大臣が靖国神社参拝をした・・・とメディアでは喧しく語られております。賛否両論あって当然ですが、常々日本人とは自虐的な人種であると感じざるを得ないのは、否定派の皆さんは何故あそこまで強硬に自分の国の総理大臣を悪く言えるのかが私の理解を超えているところです。

戦犯が祀られているからいけないとか、日本国が再度過ちを犯す発端になり得るとかその辺の理論に対して私は決して否定はいたしません。「じゃあ、オマエはどうなの?」と問われたら・・・答えは「どうでもよい」というところです。つまり、私は、我が国の総理大臣が靖国神社を参拝すべきであるという肯定派の皆さんとも意見を共にしている訳ではなく、何故メディアにせよ肯定派にせよ否定派にせよあそこまでひとつの事象を話題にしたがるのだろうというのが私の見解です。

例えば隣の家の人間が、家の中で外に聞こえない程度の声で礼拝をしていたとして、それを咎める人がいるのでしょうか?隣の家がクリスマスに賛美歌を歌いクリスマスケーキを食していたとして、自分の家の中で「伴天連は邪教だ!」などと叫んでいる人がいるのでしょうか?宗教とは、個々の人間の心の拠り所であり、それをとやかく言う必要性は無いのに、半島や大陸の一部の方々は何か勘違いをして隣の家の風習に異を唱えているだけでしか無いと思います。

と言うと、「戦争で虐げられた人達にとっては云々」と言い出す方が多々おられますが、日本大使館や領事館にペンキを投げつけたり日の丸を焼いている下賎の民(敢えてこう表現します)は、決して日本国に何らかの危害を加えられたことはなく、単に一部の思想活動家に煽動された、或いは利用されたコマでしか無いでしょう。そして、殊更にその状況を報道し、必要の無い論争を焚きつけているのが我が国のメディアでして、前述の「隣の家で・・・」の話を、「ねえ、お父さん、うちで読経しているのはいけないって町内会で噂になっているのよ」と言われたお父さんがお母さんと喧嘩をはじめる材料を作ってしまっているわけです。日本国の法律では信教の自由は保証されているはずなんですが、実は、メディア或いは世論は中立という強固なバリアーの下、何らかの宗教を信ずる人に対して否定的な態度に出ている・・・つまりは、日本国の慣習として何らかの宗教を信仰することは悪であると言わんばかりの態度に見えて仕方がありません。さて、「それと靖国神社論争はどう結びつくのか」と仰る方とは私は議論する気にはなれません。