教員は労働者〜〜誰が主役だったのかな?

埼玉県の公立高校で、1年生の担任を持っている「教師」が自らの子供の高校の入学式に「出席」する為に有給休暇を取得したという「事件」があり、それをネット上で批判した県議やら教育評論家やらのブログ等が炎上したというお話がありました。その県議さんと(似非)教育評論家のクソジジィを並列にするのは県議さんに失礼ですが、まあ、そこは主題ではないということで・・・その後も賛否両論がテレビジョンの向こう側から喧しく飛び交っております。

まず、ここで、上記のカギ括弧を付けた部分について、私にとっての(あくまでも、私の独り善がりの)言葉の定義を考えます。

  • 「教師」とは、自ら名乗るものではなく、生徒が認めた者のみに使用する称号であり、学校の先生は総じて「教員」と表現しております。つまり、この報道における「教師」は実際に生徒たちに認められていないので私の判断では「教員」の間違いであると考えます。
  • 「出席」とは、権利と義務を伴う者のみに使用されるべきで、教員が他校の入学式に行くという公式行事ではなく、一保護者としてそこに加わったのなら「参観」くらいではなかろうかと考えます。この部分はオマケのようなものですが。
  • 「事件」とは、社会的に何らかのダメージが発生した時に使用したいのが私の考え方なので、これは、「事象」とでも表記したいところです。

さて、以上を踏まえて物申すことにいたしますが、「教員」は所詮はカネをもらって「知識」を売っているだけの、教育行政上の営業マンにすぎません。前述の如く、この「教員」をここまでの材料を鑑み、生徒が「教師」として認めることはあり得ないでしょうから、一労働者として当然の権利を行使しただけでしょう。そして、一保護者として参観しただけですから、お子様の入学式においては「端役」にすぎません。他方、担任を持つということは、そのクラスの「主役格」として君臨するものですが、この「教員」は主役格を捨てても端役としてお子様の入学式に行かれたのですから、実にお子様を大事にされている立派な親御さんなんだろうと皮肉を込めて思う次第です。

「昔はこんなことは無かった」と嘆く部分も多々ありますが、いずれにしても、自分の高校時代、二日酔いで「あ〜・・・今日は自習しておけ!」と仰せだったり、「オマエの目付きは気に入らない」と言ってビンタをかましたりした「教師」が多々おられた反面、今回のセンセーのような「教員」は少なかったなぁ・・・と、昭和時代の古き良き時代に思いを馳せるのみです。

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