暴走トロッコ問題〜その大いなる二択の矛盾と非人間性の増長

「ブレーキが壊れてしまったトロッコが暴走してきます。しかしその事に気がついていない作業員5人が線路の上で作業をしています。あなたは線路の切り替えのポイントにいます。ポイントを切り替えたとしたら、その先には1人の作業員がいます。あなたはポイントを切り替え、1人の作業員を犠牲にしますか?何もせずに5人の作業員を犠牲にしますか?」という問題が一部で話題になっているそうです。訳知り顔のコメンテーターの方々が、そのいずれかが良いとかいずれも正解だとかブラウン管の向こうで語っているのを見て、現代社会の恐ろしさを感じました。

そもそも、この問題の中で、選択肢が「1人の犠牲者」「5人の犠牲者」からスタートしているところに人間性の欠如を感じます。この状態に居合わせたら、まず考えるべきは6人とも無事であること。問題提起した方は「それが不可能な場合」と仰るのでしょうが、それでも全員の無事をまず考えるべきなのが心ある人間の考え方でなくてはならないと思います。何らかの方法でトロッコを停車させるとか、脱線させることを考えるのが第一の選択であるべきです。その状況を考えずに、はじめから「誰かが犠牲になる」という前提を出すあたりに、問題提起した方の短絡的思考回路が垣間見えます。

ロッコを停車、脱線させるためには、例えばポイントを真ん中に持っていく、近くにある石でも木っ端でも何らかの障害物をその軌道に置く、そして、私にはまずできないとは思いますが、多くのパニック映画で見かける様に自らがその軌道に立ちはだかりトロッコを停車させる等々の選択肢が発生し得るはず。それらも叶わぬときに初めて冒頭の問題提起にたどり着くわけです。

停車、脱線というファクターを不可能であるというのは言わずもがなの前提であったと仰る方に一言物申したい。そのような短絡的な思想ができる理由は、あなたがコンピュータ的思考回路に毒され、○か×かだけの選択肢で生きてきた単純人間であることの証です。前述の通り、まず考えるべきは「全員の無事」なのです。仮にその説明を省いたとするならば、それ自体が非人間的思考で、恥ずべき行為であることに気付いてください。その程度のことに目くじらを立てている私もまだまだコドモだなぁと感じますが、それでも、まことしやかにその「全員の無事」という前提を省略する無神経さに、現代社会の人間性の欠如そのものの縮図を見たと思えます。はじめに「全員の無事」を考えなかった方には、この二択を三択に増やして差し上げましょう。そう、トロッコの軌道に飛び込み、自らが犠牲となって6人を救うという選択肢を。三択ですので、他の障害物は提供されないこともお忘れなく。